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大阪地方裁判所 平成3年(ワ)9298号 判決

原告

三浦正信

被告

古田司

主文

一  被告は、原告に対し、金三万円及びこれに対する昭和六三年九月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金五五〇〇万円及びこれに対する昭和六三年九月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、普通乗用自動車に衝突され、受傷したとする原告から、右普通乗用自動車運転者である被告に対し、民法七〇九条に基づき損害賠償請求(一部請求)がなされた事案である。

二  争点

1本件事故の存否・被告の責任

(1)  原告の主張

本件事故は、昭和六三年九月九日午後七時三五分ころ、滋賀県草津市大路一丁目四番二五号先道路を歩行中の原告に、被告運転の普通乗用自動車(以下「被告車」という。)が衝突し、原告が受傷したものであり、被告の前方不注視の過失により惹起されたものである。

(2)  被告の主張

原告主張日時、場所を、原告が歩行中であり、被告車が走行していたことは認めるが、衝突の事実は否認する。原告は一方的に転倒したため、受傷したに過ぎない。

2 被告の受傷程度、後遺障害の存否

原告は、本件事故による腰部打撲等のため腰椎脊髄損傷の傷害を負い、両下肢機能全廃となり、平成元年一二月二六日身体障害者一級の認定を受けたと主張するのに対し、被告は、これを争う。

3 損害額

第三争点に対する判断

一  本件事故の存否・被告の責任

1  昭和六三年九月九日午後七時三五分ころ、滋賀県草津市大路一丁目四番二五号先道路(以下「本件現場」という。)を原告が歩行し、被告車が走行していたこと、原告が転倒していたことは当事者間に争いがないところ、証拠(甲一〇の1、2、乙一、二、原告本人、被告本人)によれば、本件現場は、別紙図面のとおりであり(以下、地点の表示はこれによる。)、南北に延びる車道幅員四メートルの道路であり、東側に地蔵堂があり、原告が、飲酒酩酊してその付近のア点に立つていたところ、被告車を運転して、北から南に時速三〇キロメートル程度の速度で進行してきた被告が一二・二メートル手前の〈1〉点でこれを発見し、四・四メートル走行した〈2〉点で危険を感じ、ブレーキをかけて、七・一メートル進行して〈3〉点で停止したこと、原告は被告車の停止地点のすぐ前方のイ点に転倒していたこと、被告車には何ら痕跡が残つていなかつたこと、原告は、本件現場に午後七時四二分に到着した救急車で宮脇病院に搬送されたが、救急隊員は、原告が本件現場で左側臥で倒れているのを現認し、原告の症状として、意識は正常としつつ、腰部打撲、下半身の痺れを原告から訴えられたが、意識も正常で、格別応急の処置は要しない軽傷と認識していたこと、当日受診した宮脇病院、済生会滋賀県病院の診断結果では後記のとおり軽微な症状しか認められなかつたことが認められ、右によると、原告はほぼ停止寸前の被告車と衝突したが、軽度な衝撃であつたにもかかわらず、飲酒酩酊していたため転倒したと推認することができる。右事故態様に照らすと、被告は、〈1〉地点で直ちにブレーキをかけて減速あるいは停止すれば、本件事故は避けられたというべきであり、被告には前方の原告の動静注視義務を怠つた過失が認められる。

右認定に反する衝突がなかつた旨の被告本人尋問における供述部分は採用できない。

また、原告の本人尋問における「被告車が原告の腰から大腿部にかけて当たつたため、原告は腰から上がうつ伏せにボンネツトに乗つて、顔も打つた。その後地面に落ちた」旨の供述も、前記認定の被告車の停止位置、損傷状況、救急隊員の本件事故直後の現認状況、原告の宮脇病院、済生会滋賀県病院での診断結果に照らし採用できない。

三  傷害の程度

1  証拠(甲一ないし三、四の1、2、五ないし九、一〇の1、2、一二、乙二ないし一〇、原告本人)によれば、以下のとおり、本件事故後の原告の症状、治療経過等を認めることができる。

(1) 宮脇病院に搬送され、原告は腰痛、左下肢が動かないと訴え、腰部に圧痛、口腔内に挫傷が認められたが、腰椎レントゲンで異常は認められず、左下肢にも麻痺は認められず、腰部打撲、口腔粘膜挫傷と診断された。なお、受診時、原告は酩酊状態であつた。

(2) 一旦宿泊先に戻つたのち、同日午後一〇時二〇分頃済生会滋賀県病院に、宮脇病院から戻つて腰痛が出現したとして受診し、その際、関節の自動運動の不良、左半身の知覚鈍麻を訴えたが、レントゲン写真、神経学的異常はなく、股関節・膝関節の可動域に制限はなく、歩行も可能であり、体位変換も容易であり、医師は左半身の知覚鈍麻については疑わしいと見ていた。腰部の局所所見でも腫脹はなく、圧痛は軽度であつた。右の程度の症状であるにもかかわらず、原告は診察時、動けないので入院すると何度も繰り返し、入院の適応がないことを説明されて帰つた。

(3) 翌一〇日午前一時五〇分ころ、後頭部痛を訴えて、救急車で宮脇病院に搬送された。受診時、目のかすみ、後頭部痛を訴え、後頭部皮下血腫が認められたが、意識は清明で吐き気・嘔吐はなく、後頭部打撲、後頭部皮下血腫と診断された。しかしながら、医師は、右傷害が事故時のものかどうかは不明であるとしている。また、全治予定日について、九月一六日としている。右診察中、原告は、泊まる所を探すと言い出して、突然、独り歩いて診察室から出ていつた。

(4) 原告は、昭和六三年九月一〇日、三重県上野市の自宅に帰宅したが、同年一〇月五日に仕事で大阪に出るまで全く病院には行かなかつた。

(5) 昭和六三年一〇月に入つて、咳をした時に脊椎から後頭部にかけて疼痛が出るとして、同月二五日に、大阪市内の行岡病院に入院し、下肢が動かないとして車椅子生活を送つた。しかしながら、同病院での諸検査では、神経学的異常は認めず、レントゲン検査、筋電図、頭部・躯幹のミエロ・CT検査でも異常はなく、また、リハビリ指示に対し、担当者は典型的ヒステリーで対象とならないとの報告をしている。

医師は、スヒテリーの可能性が強いが、意識的詐病に近いとの所見も示している。

原告は同年一一月一八日退院した。

(6) 昭和六三年一一月一八日から竹野外科胃腸科に入院し、平成元年二月一日まで入院した。同病院の医師は、検察庁の照会に対し「原告から聞いた事故当時の様子と経過から見て因果関係はないように思われるが判断に苦しむ。診療結果(左右知覚消失、腱反射減弱等)のことを考えると可能性もある。」と回答している。

(7) 昭和六三年一二月二九日には、両下肢麻痺を訴えて、独歩不可、独自での病床生活不可能であるが、竹野外科胃腸科が年末休業のため、守口市内の愛泉病院に入院し、同月三一日退院した。

(8) 平成元年一月三一日には、通院中の竹野外科胃腸科の紹介で対麻痺の精査のため、門真市内の摂南総合病院で受診し、翌二月一日から入院してミエロ、CT検査を行つたが、異常所見は認められず、リハビリを行つて、同年三月一五日退院した。

同病院は、検察庁の照会に対して「神経学的所見及びミエロ検査にて異常認めない。交通事故との因果関係は不詳。」と回答している。

(9) 平成元年三月一五日には門真市内の蒼生病院に、両下肢の脱力により自動運動が全く不能と訴え、入院するが、低周波で両下肢の筋収縮が認められたが、腱反射等の神経学的異常はなく、ミエロでは異常所見は認められなかつた。点滴、理学療法等による治療がなされ、同年六月一〇日転医のため退院した。

(10) 平成元年六月一一日、歩行障害等で大阪市内の新協和病院に入院し、リハビリ等の保存療法による治療がなされ、転医のため、同年七月一四日退院した。(甲七)

(11) 平成元年七月一四日から同月二五日まで大東市内の聖友病院に入院したが、両下肢に知覚脱失が見られたが、反射、MRIでは異常所見は認められなかつた。なお、入院中、下半身麻痺を訴えながら、足を組んでいたり、医師の前では両手を後ろに支えてしか座れないと言つて、両上肢に力を入れて支えているにもかかわらず、看護婦の前では手を腹部の前で組み、坐位もできるなど下半身麻痺と矛盾する体位をとることもあつた。医師はヒステリーからの麻痺かもしれいなとの所見も示している。

(12) 平成元年七月二六日、タクシーに乗つていて、気が遠くなり、救急車で、枚方市内の中村病院に入院したが、頭部CT等の諸検査では異常所見を認めず、症状が落ち着いた同月三一日退院した。

(13) 平成元年七月三一日に山本第三病院に入院し、第一一、一二胸髄以下の完全な麻痺を認め、腰椎脊髄損傷、狭心症と病名診断された。右診断にあたり、医師は、MRIで異常所見は認められず、腹筋反射亢進なく、腹壁反射消失し、バビンスキー反射なし等機能的矛盾症候があり、遷延性骨髄シヨック様状態と考えられるとの所見を示している。同病院には平成二年一月一三日に転医するまで入院していた。

入院中の平成元年一二月二六日、外傷性脊損の疑いによる両下肢機能を全廃したものとして身体障害者一級の認定を受けた。

以上の事実が認められる。

2  ところで、原告は、本人尋問において、宮脇病院での二度目の診察から行岡病院に入院するまでの状況について、「宮脇病院での二度目の診察の際、医師から始発列車に乗つて地元の病院に行くように言われ、入院も保険証がないからと断られたが、腰から首にかけての脊髄の痛みは立つているのが苦痛の程であつた。病院からはいずるようにして歩くより速く駅に行き、始発列車で上野市内のアパートに帰宅した。その後、三週間は腰が特に痛く、身体の自由がきかず、買物も杖をついて一、二回行つただけであり、食事の支度も電気コンロを使つて寝転がつてするなどの生活をした。帰宅後一〇日位してから上野市役所で保険証を貰つたが、病院には行かず、一〇月初め、仕事をやりたいから、人材派遣会社に連絡し、大阪に出てき、その会社の寮に入つたが、体調が悪く、ずつと寝ていた。」旨供述するところである。

3  前記1の当初の治療経過に照らすと、原告の本件事故による受傷程度は軽微といわざるを得ず、軽微だからこそ上野市内のアパートに本件事故翌日には帰宅しえたというべきである。前記原告の帰宅後の生活は、日常生活に影響のある症状があつたとすれば、何故に病院に行かなかつたか、何故仕事を見つけて大阪まで来たのか、不自然極まりなく、原告の本件事故による受傷のため、身体の自由がきかなかつたなどの供述部分は採用できない。むしろ、原告は一〇月初めまでは、通常の日常生活を送つていたものと認めるのが相当である。

4  また、行岡病院入院後、山本第三病院入院中身体障害者一級と認定されるまでの治療経過を見ると、前記のとおり原告の症状は、他覚的所見に乏しく、また、両下肢麻痺と訴えながら、足を組んでいたり、原告の訴える症状と矛盾する体位がとれることなどもあり、原告の障害がヒステリーによる症状ではないか、詐病ではないかと疑問に感じる医師もおり、さらに、身体障害者一級認定の基礎資料となつた診断書においても、脊髄損傷診断のメルクマールである(乙一二)反射の異常等は認められず、機能的矛盾症候が認められ、遷延性脊髄シヨツク様状態と考えられるとの所見を示して、外傷名を「外傷性脊損の疑い」としか診断しえなかつたことなどによれば、原告の両下肢麻痺の存在に疑問があり、仮に両下肢麻痺が発現していても、本件事故の衝撃の程度、本件事故後大阪に来るまでの間の生活に照らすと、本件事故により重篤な症状がもたらされたと認めるには疑問がある。そうすると、両下肢麻痺は本件事故と相当因果関係は認められない。

5  以上によれば、原告の本件事故による原告の受傷は、高々腰部打撲、口腔粘膜挫傷、後頭部打撲、後頭部皮下血腫で八日間の加療を要する程度のものと認められるに過ぎない。

三  損害額

1  休業損害(五七八万六〇四〇円) 〇円

前記認定によれば、原告の本件事故による受傷程度は軽微であつて、休業を余儀無くされる程度であつたと認めるに足りる事実は認められない。従つて、休業損害を認めることはできない。

2  入通院慰謝料(三一〇万円) 三万円

前記認定による原告の受傷程度に照らすと、慰謝料として三万円が相当である。

3  後遺障害による逸失利益(八〇三八万八二四〇円) 〇円

前記認定のとおり、本件事故と原告の両下肢機能全廃とは相当因果関係がないから、右障害に基づく逸失利益を被告に負担させることはできない。

4  後遺障害による慰謝料(二〇〇〇万円) 〇円

前記逸失利益の判断と同じである。

5  弁護士費用(五〇〇万円) 〇円

本件事故による損害は、前記認定のとおり軽微であつたにもかかわらず、原告が前記のとおり過大な請求をしたため、被告が応ずることができず、本件訴訟の提起となつたものであることに照らすと、弁護士費用を認めるのは相当でない。

四  まとめ

右によれば、原告の本訴請求は被告に対し、金三万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六三年九月九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由がある。

(裁判官 高野裕)

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